子宮筋腫体験記(7)最初の病院に戻って、先生と話したこと
10日後、わたしは最初の病院に帰ってきました。
MRIを抱えて、待合室で待っていました。
吹き抜けのステンドグラスから差し込む光はやわらかく、
水底のように薄暗かったです。
隣の人同士が小声で話しこんでいて、
ひとりがシャツをめくり上げておなかの傷を見せていました。
手術後のようでした。
「きれいね。半年経つとこうなるのね」
もう一人が嬉しそうにいっています。
わたしも「手術後にはきれいなきずになるのかな」と
ぼんやりと考えていました。
名前を呼ばれて、診察室に入りました。
「先生。こんにちは。よろしくお願いします」
そういって、頭を下げました。わたしは白い半そでブラウスに、紺色の紗のスカートをはいていました。制服のような色合いです。
手術をお願いするために来たのだから、
まじめな印象を与えるような服を選んだのでした。
先生の名前は斉木といいました。わたしは別の病院から帰ってきたこともあり、
感慨深く先生の顔を眺めていました。
「このひとは、なんだったっけ」無表情にカルテに目を落としていた先生は、
すぐに「あ」と思いだしたようでした。
「それで、どうなったの」
息せき切ったように、早口でたずねました。わたしは目を伏せていいました。
「よく考えたのですが、ここで手術を受けようと思いますから、よろしくお願いします」そう言って頭を下げました。
「K病院へ行ったんだね。いいところじゃない。規模も同じくらいだし」
MRIの封筒の中に、2つ目のK病院の医師の診断書が入っていたらしい。斉木先生は、前のめりになって問いただします。
「それで、なんていわれたの」
わたしは、2つ目の病院の話をする必要もないと思っていたのですが、先生に強い口調で問いただされるので、観念して答えました。
「結局、同じことをいわれたんですよ」
わたしは、K病院でのことをかいつまんで説明しました。
そこでは2人の医師の診察を受けたこと。最初に白髪の医師から斉木医師の診断とまったく同じ意見だといわれたこと。もう一人手術を担当する若い医師からは、わたしがリスクを理解するなら子宮を残す努力をしてもいいといったことを話しました。
斉木先生はかすかに気色ばんで口を挟みました。
「やってみようといったのか」
それには、患者を高いリスクにさらすことは許されない。なんということをいうのかといった怒りが現れていました。
若い医師は、子宮を摘出するよりも、腹腔鏡手術で筋腫を手探りではがすほうが、時間もかかるし難しいのだといいました。からだの負担も大きいけれど、わたしがそのことを理解したうえで、それでも子宮を残したいというのであれば、やってみてもよいといったのです。
「もしあとから問題を引きずるようなことがあっても一緒に考えましょう、といってくれましたよ」
と、若い先生の誠意のある言い方を強調したら、斉木先生は「ふうん」といいました。
ちょっと不機嫌な「ふうん」でした。この先生の「ふうん」は表情が豊かというのか、微妙なニュアンスに違いがあるのです。
患者の要望にできるだけ応えようとする若い医師の姿勢は、無謀と隣り合わせかもしれず、患者を無用な危険にさらすのは、同業者として気に入らないようでした。
「それで、どれくらいの確率でできるって?」
先生の頭の回転はとても速いので、わたしはいつもあわててしまいます。
「……2~3割」
そう答えると、先生は自信をにじませていいました。
「もっとあると思うけどな」
そのあと、「うん?」というように首をかしげて聞きました。わたしの意図が一瞬わからなくなったのです。
「……ということは?」
この人はどうしたいといっているのか。
それにこたえて、次の言葉をいうのに勇気がいりました。子宮を残せる確率がもっとあると、今、先生がいったからです。わたしの筋腫でも腹腔鏡手術をする医師がいることがわかったし、ここで泣きつけば、その手術を斉木先生がしてくるかもしれない。子宮は助かるかもしれない。そんな考えがよぎって決心が揺らぎました。
それでも。あとあとまで症状を引きずりたくないし、からだの負担を最小限にすることが最良の方法なのだ、と自分に言い聞かせました。かるく息を吸いました。わたしは壁のMRIを見ながら一言一言はっきりといいました。
「先生。わたし子宮いりません」
いってしまった。もうこれで子宮はなくなってしまうのだと思うと、からだがふるえました。先生はなにか心を動かされたようにほんの少し間をおいて、押し殺した声でいいました。
「子宮体部だけではなくて頸部も一緒に切ります。癌にならなくてすみますからね!」
子宮を体部と頸部にわけていわれると「じゃあ、頸部だけでも残してもらいたい」、とすがりつきたくなりましたが、それもこらえました。
「はい。どうぞ」
バスで席を譲るような優しい声が出ました。「先生にお任せします」という意味が伝わったと思います。
間髪いれずに返事ができるはずの先生が、なにもいいません。先生の動きが一瞬止まって、そこに張り詰めた沈黙が流れました。「どうしたのかな」と耳をすませていると、それから静かに喜ぶ気配が伝わりました。ふいに体の力を緩めて、先生は声を出さずに笑ったようでした。緊張した空気の中で、かみしめるようにいいます。
「わたしは患者さんのために一番いいと思う方法を、勧めているつもりです。余計な希望を持たせたくない」
わたしには先生の言う余計な希望の意味がよくわかりました。子宮を残せる可能性が2~3割など、まったく挑戦する価値がない数字でした。手術それ自体がリスクのある治療であり、わたしは、失敗の可能性を限りなくゼロに近づけなければ手術をしたくないのです。
斉木医師は最新の術式を追い求めるというより、安全性が高く患者の負担が少ない治療を選択する人らしい。そしてわたしも、普通のことをきちんとやりおおせる医師が好きなのです。この先生で決まり。わたしは心から納得して手術を受けることになりました。
今日の診察で手術の日程まで決めたかったので、わたしは先を急ぐことにしました。
「先生。わたしなるべく早く手術をしたいです」
そういうと、先生はうんうんとうなずいて聞きました。
「ご主人はなんて?」
夫は2つ目の病院でも同じ診断だったことを聞くと、しぶしぶ賛成していました。
「ええ。彼も賛成しています。とったほうがいいみたいだって」
8月22日に手術。3日前の19日に入院。それから逆算して1か月前に入院前検査を予約しました。日程が決まるとほっとしました。
「では先生。これからどうぞよろしくお願いします」
診察室を出る前にそういって、晴れやかな気持ちでお辞儀をしました。すると、先生はあわてて立ち上がり、
「こちらこそよろしくお願いします」と深々と頭を下げました。「ありがとうございます」といいかねないくらいの元気なあいさつで、わたしはまた笑いそうになりました。
立ち上がって診察室を出ながら心をこめていいました。
「先生。どうもありがとう」
さわやかな満足感がお互いの間を流れました。