pinotannのブログ

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子宮筋腫体験記(8)入院してからの病院での生活

前日までのうだるような暑さがいったんおさまって、涼しい朝でした。

土手の緑が、風に吹かれてざわざわとうねっていました。空には分厚い雲がかかって、

駅に着いた時には雨が落ちていました。

 

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わたしが入院した婦人科病棟は4階でした。婦人科は患者も看護師も清掃員も、医師以外はすべて女性でした。パジャマがリースできるので、患者はたいてい同じものを着ていました。白地に細かいピンクのストライプのパジャマです。カーテンもすべて薄いピンク色に統一しているので、病棟全体が明るい雰囲気でした。

 

「手術が終わったら、たくさん歩いてもらいますからね。その方が回復が早いですよ」

病棟の案内をしてくれた看護師がいいました。

午前10時に、西田係長というネームプレートをつけた看護師が病室にきました。

「今からざっと治療の説明をしますね」

そういって、わたしにプリントを渡して一緒に読み始めました。

手術前の食事や、手術後の点滴の種類や意味などを、説明してくれました。これからのことが想像できて、とてもありがたかったです。

わたしは、手術後の痛みについて質問しました。下腹部を12㎝切るといわれていました。そんなに切ったら相当痛いのではないか。一年くらいは笑っても痛むのではないか。

西田係長は丸々とした手にボールペンを握って、ちょっとの間考えてからきっぱりと言いました。

「そりゃあねえ。手術の後は痛いです。はっきりいって」

「そうでしょうね」

わたしはしょんぼりと肩をおとしました。

「だからね、我慢しないで痛み止めが切れそうになったらすぐに座薬を入れましょう。最初の3日くらいはかなり痛いですから。痛みを我慢すると回復が遅れる恐れがありますから、遠慮せずに看護師を呼んで薬を入れてもらってください」

西田係長は、小さい目にたっぷり塗ったマスカラがチャームポイントになっています。愛嬌があって、ちょっとくらい口調が厳しくても、かわいらしく聞こえました。

「こちらも、全力で看護しますから、安心してください」

そう力強くいってくれて、うれしかったです。

夕方に斉木先生がひょっこりと顔を出しました。思いがけなかったので驚きました。先生は診察室とは違う和やかな表情でわたしの顔を眺めました。「やあ。とうとうきたね」というようでした。

「これからよろしくおねがいします」

パジャマ姿を見られることが少し恥ずかしく、伏し目がちの笑顔を見せてあいさつしました。斉木医師はやさしいまなざしをしていて、いかにもここが彼のホームグラウンドであることを感じさせました。

「これ読んでサインしておいてください」

先生が持ってきた書類は、輸血についての説明書と同意書でした。

病院から書かされる同意書は何枚もあり、そのどれも社会通念からすると、病院に有利な条件を認めるものに思えます。不慮の事故が起こっても文句をつけにくいです。それでも、同意しなければ治療を拒否されかねません。

病院や医師を信じて任せるしかないということを、改めて自覚します。不意に心細くなりますが、信じられる病院を選んだのだと自分に言い聞かせました。

手術の朝まで、検温や便や尿の回数、摂取した水分量、食事量を看護師が聞いて記録します。

体力が落ちないように、1日に2回、4階の病室から地下1階にある売店まで、階段を使って上がり降りしました。貧血が続いているせいで、5階分を一息に上がるのは無理なので、3階のソファに腰掛けて休んでいました。

3階には手術室がありました。分厚いステンレスのドアがあって関係者以外は立ち入り禁止です。「ここで手術をうけるのかなあ」なんということもなくそれを眺めていたら、その重そうなドアを押しあけて斉木先生が出てきました。

仕切りの陰になったわたしには気づかず、足早に廊下を横切ります。だれもいないせいか、先生は素の表情をしていました。疲労をにじませたその横顔はふだん患者に見せる明るく親切な先生とは違いました。

この病院の婦人科医長は、医療関係の雑誌によく登場するスターです。医長先生でなければいやだという患者も多いといいます。斉木先生は、華やかな医長の下ではまだ無名の存在の過ぎません。

外来と違って病棟は、患者と医療者の距離が近く感じられます。孤独な先生の背中がわたしの心に残りました。