pinotannのブログ

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子宮筋腫体験記(9)手術当日のあれこれ

手術当日の朝、わたしは手術着に着替えてナースステーションの隣にある処置室に行きました。その日最初の手術でした。

斉木先生が来て立っていました。水を浴びたようにひんやりと清潔なたたずまいでした。

わたしは緊張しきっていました。全身麻酔や、下腹部を切る手術がこれから始まるのです。その後の痛みを想像するだけで体が強張ってきます。万に一つもないと思いますが、麻酔とか手術中の事故などが起こらないとも限りません。

頭のなかは不安でいっぱいでした。

先生も心なしか硬い表情をしています。看護師だけがおっとりと平静で、彼女にとってはいつもの朝のようでした。

 

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血液検査の結果を見て、先生は少しショックを受けたように「ぎりぎりだ」と独り言を言いました。そのまま黙って深い思考に沈んでいきます。わたしはその様子を見て、「生理があったからなあ。フェロミア(鉄剤)もらっておけばよかった」と後悔する半面、「まさかここにきて手術をとりやめたりしないよな」と思いました。

「先生。大丈夫だから手術しましょう」などと励ましたくなったけれど、やめました。なにかあった時に、本人がやろうといったことになるから。自分に不利になることは一切いませんでした。先生が判断することでした。

先生は立ちあがってちょっと肩を回すようなしぐさをしました。気持ちを切り替えたようでした。それから、「どっち? あ、左?」と聞きました。点滴の針を刺す腕のことです。

「右利きですから」わたしはそういって、左手を台の上にのせました。

点滴の針は効き腕の反対に入れる方が、トイレとか食事の時に便利だと聞いていました。先生は左手に針を持っていて、この時初めて彼が左利きだと気が付きました。

「え? 左手でメスを持つの?」とパニックになりそうでしたが、よく考えたらわたしの夫と長女は左利きなので、「大丈夫」と自分に言い聞かせました。

先生の手がわたしの手首を軽くつかんで点滴用の針を当てます。針をさす時、私はいつものように目をそらせました。針がぐっと腕に入っていく感覚に耐えていると「あ」という声がして、先生が急に立ちあがりました。

そのあと後ろを向いて、「チッ」と大きめの舌打ちをしました。あわてて自分の左手を見ると、かすかに内出血しています。血管にうずめるべき針が血管をとおりぬけてしまったのでした。

わたしは、「あんた! なにしてるの!」と怒鳴りたい衝動をかろうじてこらえました。お気に入りの先生なのにこんな気持ちになるなんて、よほど気持ちが張り詰めているのだと思いました。それにここで先生とけんかをしたら、けんか相手におなかを切られることになります。とっさにそう思いなおして、このことは一切なかったことにしました。

先生はその場で軽く足踏みして体をほぐしています。傍らの看護師に「22番にする」と無造作に指示しました。

1番太い針はやめて2番目に太い針を選びました。

「じゃあ、右で」

あごをかすかに上げて右手を出してというしぐさをしました。わたしは黙って従いました。

「手をおろして握って見て。グッパーして」

指示通り腕を動かすと、血管が皮膚から浮き出てきました。

「これでいくから」

先生の指さすところを見ると、骨に添うように通る血管が透けて見えました。慎重に慎重に先生は見極めました。それから、「できた…」という声がして、見ると、点滴の針はわたしの腕に治まっていました。

それから、手術担当の看護師と一緒に手術室へ向かいました。ステンレスの分厚いドアを通り抜けて、医療器材が壁際に置かれた廊下を進みます。窓のない倉庫のようなところでした。

ステンレスの大きな手術台の前に看護師が立ち止まりました。

「あがれるよね」と言うので、自力で台の上に上がりました。横になると、あごが外れるくらい大きく口を開けさせられて、酸素マスクを口にいれました。

そのあとの記憶がありません。意識がなくなったことも覚えていません。90分経っていたはずですが、時間の感覚もありませんでした。

次の瞬間、「〇〇さーん。〇〇さーん」と、歌うようなにぎやかな声で名前を呼ばれました。気持ちよく眠っているから、もう少しこのままでいたいと思うのに、若い女性たちの声があまりにも楽しそうなので、「なあにい」と目を覚ましました。

意識が戻ると看護師たちは素早くわたしを病室へ運びます。ベッドが廊下を進むらしい振動を感じました。病室につくと「せえのー」と大声で力を合わせてわたしをシーツごともちあげ、ころっとベッドに移しました。朦朧としているので痛みもありませんでした。体が重い袋になったように動きませんでした。

 

それからは苦しみの一日でした。高熱と麻酔が抜ける時の倦怠感と吐き気がつらい。膀胱に差し込まれた尿管と右腕の点滴のチューブの気持ち悪さ。からだとつながっているチューブが気になって、どうしても体が硬直してしまいます。腕を伸ばしきれないし、足にも余分な力が入ってしまいます。

布パンツの代わりにはかされた、紙パンツと紙パッドのがさがさした肌触りが不快でした。熱が高いから体を冷やしたいのに、血栓防止用にはかされた靴下が暑くてたまらない。熱をにがすために仕方なくおしりや腿を露出していました。

時間がたつのも遅かったです。眠ることもできず、ほとんど動けず、ひたすら不快感を耐えました。寝返りを打つたびに吐き気がするのですが、じっとしていられないのです。点滴の針が気になって、手の置きどころすらありませんでした。

看護師に頼んで枕を敷いてもらったのですが、高さが合わず、また苦しい。見回りに来た看護師に気力を振り絞って「酸素マスクを外してください」と訴えましたが「念のためにしばらくはつけておいてください」と断られました。

なんども嗚咽して、つばを吐いて、そのたびに胃がよじれるような痛みがあります。へとへとに疲れて少しまどろみますが、すぐに目が覚める。時計を見ると、時間は数分しか経っていない。その繰り返しでした。

看護師は、頻繁にベッドサイドに現れて「おかげんいかがですか」と声をかけてくれます。吐き気が強いので、ステンレスの皿を口元に当ててくれたりしました。

隣のベッドから大声が聞こえました。わたしの後で手術を受けた人が、騒いでいました。

「痛い! 痛くてたまらないからお薬ください!」

「腰が痛くて眠れないから動かして」

「痛い! これはだめ。やりなおして」「熱いから冷やして!」「座薬が変なところに入っている」

なんどもナースコールをして懇願しています。

最初はやさしかった看護師も、

「今度は何ですか!」と最後には語気荒く対応しています。

わたしはナースコールをする気力もありませんから「元気な人だなあ」と感心してやり取りを聞いていました。

薄暗い部屋でじっとしていると退屈します。隣のベッドでのけんか腰のやり取りは、どこか楽しそうで、聞いていると気がまぎれました。

夜中になって熱が下がり、麻酔の不快感がすっと抜けました。点滴も終わり、やっと眠れました。