pinotannのブログ

消費の覚え書きと世間話です

子宮筋腫体験記(11)術後3日目のからだと、主治医と夫について感じた事。

 

病棟は、朝6時くらいからざわめきはじめる。

術後3日目になりました。

午前7時30分。朝食が五分粥になりました。

午前8時30分。検温、血圧測定。

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「おはようございまーす」

と、さわやかに声をかけながら、看護師が重そうなカートに電子機器を積んで、患者の朝のデータを記録していきます。

点滴用の溶液が入ったビニールパックをつけ替える時に、担当の看護師がわたしにいいました。

「おつらい時は、つらいといっていいんですよ。〇〇さんのように、我慢しすぎるのもまたよくないんです。じーっと我慢して、最後にベッドに漏らしてしまう人もいるんですよ」

「えー! おもらしは怖すぎる。でもわたしはそのタイプかも……。あんまりしんどいと、口がきけなくなっちゃう」

わたしは素直に認めました。

「そうなんだ」

看護師ははじめて納得したようにうなずいた後、気の毒そうにわたしの顔をのぞきこみます。優しい人でした。

そのあとで蒸しタオルが配られて自分でからだを拭きます。歯磨き、身づくろい。

午前9時。傷の消毒。当番の医師が駆け足で病室を回ります。

後は、朝、夕に点滴があって、点滴がポトリポトリと落ちるのを眺めながら、ひたすら療養するだけです。

 

午後になってもすることがなく、ベッドに横になっているだけでした。窓から外をぼんやりと眺めて、ビルの隙間の空や、流れる雲や、刻々と代わる太陽の傾きや日差しの強さ弱さ。そんなものを見ています。

わたしは37度の微熱がありました。術後の状態は安定していますが、鎮痛剤が効いているだけかもしれません。12㎝もおなかを切って子宮をとりだした手術後3日目の痛みはどんなものか知りたくなって、座薬を入れてもらいませんでした。

痛み止めが切れた頃の感覚は、やはりすごく痛かったです。ただ、その痛みは意外なくらいシンプルで、腹腔内をていねいにかき回された感じです。軋むような鈍い痛みがおなかにあります。手術の時に動かされた内臓が、あるべき場所を求めてうごめくような感覚です。

荒々しい痛みではなく、静かな感じでした。あくまで完全看護されてベッドの上で安静にしている状態に過ぎませんが、じっとしている限りは、耐えられるくらいの痛みでした。

おとといに比べると体は動きます。

カーテン越しのやわらかい光を浴びながら眠りに落ちました。

 

日が傾く頃、わたしはトイレから出て、ふと隣の病室に、目をやりました。そこは、わたしと同じく6人部屋でした。カーテン越しに夕日がさして、人々の姿は濃い影のようでした。

検査は日中に終わるので、夕食前はだれもが、テレビを見たりおしゃべりをしたりして、楽しそうに過ごしています。のんびりと和やかな時間です。

その中で、懸命に作業している人が目にとまりました。ベットに横たわるの患者にからだを傾けて、処置をしています。斉木先生でした。逆光になって顔の表情は見えませんが、真剣な様子が伝わってきます。みんなが遊んでいるところで黙々と作業しています。先生のシルエットをみて、「立派な人だなあ」と頭が下がる感じがしました。

 

夕食が終って、布団を直していると夫が顔を出しました。夫の勤め先が近いせいか、毎日顔を出してくれます。

手術や入院に渋い顔をした割には優しくしてくれるものです。見舞いに来てくれたことに対しては、素直にうれしいと思いました。

夫はそんなわたしの繊細なこころには、全く気付かず話しかけます。

「お。だいぶん元気になってきたやん。もう歩けるようになったんか」

「うん。おかげさまで順調ですわ」

そう答えると、「そうやろなあ」と機嫌良く答えて、夫はわたしに顔を近づけて話し始めました。

「あのなあ。手術してくれた先生、あれはいい先生やで。手術が終わった後で、付き添いの家族に摘出した子宮を見せて説明してくれるんやけど、その態度が謙虚でよかったんや。なんていうか。一流の職人さんみたい。わし、わかんねん。きちんとやってくれたと思うで。よかったなあ。もう心配いらんわ」

それから、残業食だと言って、コンビニのビニール袋からおにぎりを出して、食べ始めました。その、「やれやれ。おわってよかった」というのんきそうな顔を見ていると、つい「あんたはなにをしてくれたんや」とムッとしました。

わたしは、入院前の夫のひどい言葉の数々を忘れていませんでした。

斉木医師を認めてくれたことは嬉しい。でも、夫は最後までわたしの手術に反対していたのです。

あの時夫は、診察についてきたわけでもないのに、「そんなすぐに手術をするような医者は信用できない」と文句を言ったし、入院手続きの時にも、「お金なんぼかかんねん。何日入院するんや。家のことはどうするつもりだ」と責め立てたのです。おまけに、「万一訴訟をすることになったときに不利になるから、手術の承諾書にサインしない」と言われたときは、本当に困りました。

病院と家族との間に、病人のわたしが挟まれるような状態になったのでした。

夫なのに、病気の治療の時に、支えになるどころか、足を引っ張られたと思っています。だから、終わった後でのこのセリフには、腹が立って仕方がありませんでした。

わたしは、おなかの痛みも忘れて言い返しました。

「いい先生やって、わたしは最初からいっている。それを信用しなかったくせに、今その態度? なにそれ。ほんま調子いいやつ。手術なんていうものは、どんなに簡単なものでも何が起こるかわからないものなのよ。だからこそ、ほかの病院にも行って診断してもらったし、斉木先生ならと思って手術を受けている。そういうわたしの考えを聞こうともしなかったくせに、いまさら知った風な口きかんといてくれる?」

ここは6人部屋なので、カーテン越しに声が筒抜けです。同室の患者が聞き耳を立てていることを知りながらも、言わずにいられませんでした。すると夫は、片頬をゆがめて言いました。

「ふん。かわいくない。手術したばっかりの時はベッドに転がっているだけで『ありがとう』しかいわんかったのに、すっかり元に戻った。あの時の感謝の気持ちを思い出せ」

そういう捨て台詞を残して、ぷいっと帰りました。

夫とは学生時代のサークルで知り合いました。結婚当初はわたしも仕事をしていましたが、こどもができたことと、夫の仕事がいそがしくなったこともあり、家庭に入りました。

夫が家で傍若無人なふるまいをするのは、わたしが家庭に入って収入が減ったから、そのことが気に入らないのかと思っていました。

いろいろきれいごとを言っても、生活するのに欠かせないものはお金です。それを稼いでくる人が「偉い」という力関係が、夫婦間でできあがっていたのです。

ただ、結婚して20年以上も経つうちに、彼の思いやりに欠ける言動は、お金によるものだけではないかもしれないと思い始めています。夫はもともと人と強調するタイプではないということがわかってきました。仕事も顧客と打ち合わせして設計書を書くような技術職なので、一人でやることが多いし、それが向いているのでしょう。

仕事での理屈を家庭でも通そうとするので、一緒に暮らしていて窮屈です。弱みを見せたら、そこを責められます。離婚の理由になるとは思いませんが、いつも母親のような包み込むような気持でいないと、家庭を維持できないような不安定さがあります。

今回の病気でも、わたしの体調を気遣う言葉は一切なく、入院している間に家事ができないことを非難したことは、どうしても許すことができませんでした。

こんなんだから、「斉木先生にあこがれるのも仕方がないじゃん」と開き直ったり、「しょせんわたしの夫なんだからこの程度」と割り切ることにして眠りにつきました。