子宮筋腫体験記(13)退院とその後のくらし
わたしが知っているだけで、同じ日に子宮摘出の手術を受けた人は4人いました。
順調だったのはわたしとUさんの2人でした。
手術直後に痛い痛いと騒いでいた人は、腰の疾患が見つかって整形外科へ移りました。
もう1人は術後の回復が遅いとのことで、まだしばらく入院するそうです。
子宮全摘は盲腸と同じくらい簡単な手術だそうですが、術後の経過は人それぞれ違うということがよくわかります。
8月31日、退院前日の検査がありました。
ナースステーションの横の処置室に行きました。
ここで、手術前に点滴の針を入れたんだったなと思い出していました。
入院したのは8月19日でした。短い間にいろんなことがあったからか、手術をしたこともまた、遠い過去のことのようでした。
カーテンのわきに係長の西田さんが控えていて、
「退院おめでとうございます。本当に順調でしたね」
と声をかけてくれました。
入院直後に、傷の痛みについて相談したことを思い出しました。
痛み止めを効果的に使って乗り切ることを、教わったのでした。
「ありがとうございます。看護師さんたちのおかげと思っています。」
そういってお辞儀をしました。奥で、斉木先生がパソコンに向かって急いで準備しています。カーテンを開けると目の前に内診台がありました。わたしはびっくりして聞きました。
「内診あるの?」
西田係長は気を使って、「あ、知らなかった? 先生に聞いてみようか」と言ってくれるのを押しとどめて、「大丈夫。平気平気」といってパジャマを脱ぎました。
斉木先生の内診を受けるのは初めてでした。手術するまでずっとMRIの画像だけで話しをしていたから、この先生は内診をしないんだとばかり思っていました。親しい気持ちになっている相手に内診をされるのは、非常にはずかしいものです。でも、退院前に腹腔内の状態をチェックしてもらうのも大切だと思いなおしました。
自宅に帰ったらひとりです。看護師もいません。その時に、調子が悪くなることがこわかったのです。
不自由なからだをぎこちなく台の上にのせて足を開きました。カーテンの向こうで先生は意を決したように大きめの声で「失礼します」と声をかけました。
からだの奥にまるい異物が入ってきます。銀色をした金属の棒のようだと想像しました。顔を両手で覆って違和感を我慢しました。冷たさも感じないし、痛みもありませんが、細い棒が内奥を探るのをじっと耐えなくてはいけません。ひどく心細い。妊娠中はいつもしていたことを思い出しました。
何回されても慣れることができず、凌辱されたようなショックを感じます。声をこらえている間に、異物はそっと膣から抜かれました。
「きれいです」
カーテンの向こうで硬い声がしました。
パジャマを着て診察室に戻ったときは、気まずくてお互いにかすかに顔をそらせました。お互いに気まずくなるから、先生は患者と距離を持つことにしているのかなと思ったりしました。
わたしは術後の経過が順調だったので、痛み止めのロキソニンをもらったくらいで退院しました。
斉木先生はそのあと別の病院に移動になり、退院後の定期健診に行っても、もう会えませんでした。
かかっているときには「あなたは元気になりますよ。どんどんあがっていくからね」
と励ましてもらって、本当に元気になりました。
十分にお礼が言えなかったことが心残りでした。
子宮を取ってから5年経ちました。
1年くらい経つころには、傷の痛みもなくなりました。
貧血も治り、体調はとてもよいです。
子宮を取ったからといって、ひげが濃くなるとか、体形が男っぽくなるとかいうことはまったくありません。
生理がないから、いつでも水泳ができますし、下着が汚れることもありません。
白いパンツとかスカートも気兼ねなくはけます。
傷跡も目立ちません。というか、おなかの脂肪に隠れて見えません。
顔見知り数人でランチした時のことです。
筋腫の話になったときに、「子宮取られるのが嫌で、つらいのを我慢した」という人がいました。よく話を聞くと、その人は再婚したかったので特に子宮が必要だと思っていたようです。考え方は人それぞれだと痛感しました。
そこにいた別の女性から、
「じゃあ、〇さん子宮ないのね!」と大きな声で言われました。
そこには男性もいたので、デリカシーのないその女性に対していやな気持になってしまいました。
まだまだ、子宮は女性の大切なシンボルと思っている人は多いのかもしれません。
でも、子宮全摘をしたら女性らしさがなくなるというのは、根拠のない思い込みではないのかなと思います。
子宮筋腫が大きくなると、生理の出血が多くなって貧血になります。そのことがからだに良くないのです。なので、もし悩んでいる人がいたら、思い込みとか偏見に惑わされずに、適切な治療を受けて健康を取り戻してもらいたいと思います。