ミニマルな暮らしへの道のりは、自分で判断することの繰り返し。
昨日、あさイチで「ミニマルな暮らし」を紹介していました。
ミニマルって、わたしにはちょっととっつきにくかった。
こんまりの「片付けの魔法」とか、断捨離くらいはついていけたのですが、
ミニマリストというと、
男子が真っ白い部屋でパソコンだけ持って暮らしているイメージで、
いまいちわたしには関係ないかなと、距離を置いていたのです。
でもそれは単なる無知と偏見でした。
必要なものだけ置きたい。
すっきりと暮らしたい。
そう願いながら、ごちゃごちゃした家で暮らしているわたしには、
ミニマルな暮らしは、大変興味深かったです。
一人は家電製品をほとんど持たない女性でした。
エアコンと冷蔵庫がない暮らしは衝撃的でした。
この二つをなくすのはわたしには無理かなと思いましたが、
自分のことをよくよく振り返って、最近炊飯器を捨てたことを思い出しました。
キッチンに電化製品があふれて、あまりに使い勝手がわるくなったので、
やむにやまれず、炊飯器を捨ててしまったのです。
以降、土鍋でごはんを炊いていますが、まったく不自由を感じません。
これは自分でも驚く変化でした。
土鍋はいいです。
予約炊飯ができないことが不便かもしれません。
でも、土鍋が水分を調節していると思うのですが、
夜炊いて、翌朝食べてもすごくおいしいです。
普通のガスコンロを使って、強火、弱火を自分で加減しているせいか、
炊きあがりにおこげができたり、やわらかかったり、
微妙な違いができます。
それがまた面白いです。
それから、掃除機も使っていません。
クイックルワイパーとウエーブできれいになりますし、
たまに拭き掃除をしていますから、掃除機がいらないのです。
まだ捨てるに至っていないのは、いつか必要になるのではと思っているからです。
いつかなんてないのかもしれないのに。
電化製品を持たない人は、ベランダに面する部屋にカーテンもありませんでした。
見晴らしの良いマンションなので、気持ちよさそうでした。
遠くまで見えて、空の色とか雲の変化も感じられる暮らしは、
気持ちがゆったりしそうです。
人の目がなければ、カーテンはいらないと思いました。
わたしの理想は、敷地を高い生垣で囲んで、外の視線を防ぐ家です。
そんな家に住めたら、カーテンもなくていいです。
ベランダで干し野菜を作っていて、カボチャにカビらしい白いものがついているのを見つけた時に、ミニマルな暮らしをしている人が、
「これを食べるかどうかは自分が決める」といったことが心に残りました。
そうか。そうか。
キモは、必要かどうかを自分で判断する暮らしなのでしょう。
みんな持っているから。
あると便利そうだから。
そういうのは、人に押し付けられた価値観だったり暮らし方だったりするのです。
それが家の中も、頭の中までも、ごちゃごちゃにしているのでしょう。
自分はどういう暮らしをしたいのか。
それを考えながら、
いるかいらないかを決めていく。
それを繰り返していくと、すっきりした暮らしが手に入りそうです。