pinotannのブログ

消費の覚え書きと世間話です

どこまで手を抜いて街に出かけられるか、最小限必要な身だしなみについて考えたこと

f:id:pinotantan:20160324103623j:plain

 

 街で買い物をしていると、

その時に着ている服でまわりの態度が違うことがあります。

これはその時の体験と、気づきを書きとめたものです。

 

 1、その日の服装

 日曜日でした。

 わたしは買い物に行かないといけなかったのに、だらだらしてしまい、出かける時間がお昼近くなってしまいました。買いものというのは、衣料品とか寝具とか食品などの日用品で、とくにおしゃれをしないといけないような用事ではありませんでした。どれも店を決めているので、買いたいものを買って、さっさと帰ってくるつもりでした。すでに出遅れていることもあり、化粧もせず、髪にブローもせず、動きやすい格好ででかけることにしました。

 結構な年なので、お化粧をしないで外出すると、見た目はかなりしょぼいです。その自覚があるからこそ、着る服は気をつけないといけないと思いました。そこで、明るいグレーの長袖Tシャツにカーキのクロップトパンツをはきました。T シャツは流行りの長めの袖です。無造作にまくることで腕が細く長く見えるし、麻100%なのでひんやりして気持ちがいいのです。パンツもきりっとしたテーパードで動きやすい。サンダルを合わせると足首の細さが強調されて、「たくさん歩く買い物」という目的にはとてもよい組み合わせだと思いました。

 化粧っ気のない顔にナチュラルな色の服を着た自分はかなり地味でした。「いくらなんでもまずいかも」わたしはあわててシルバーのネックレスをつけました。これもまた凝ったデザインで、友だちとおしゃべりする時などは胸元のちょっとした飾りが目に楽しいものですが、遠目には目立ちません。それでもいちいちおしゃれをするのが面倒で、そのまま出かけたのでした。

 道を歩いているときにガラスに映る自分を見て、アジアを放浪する人みたいだと気がつきました。つやがなく寝ぐせの残る髪に、沈んだ顔いろでは救いようがありません。

「これは失敗したかもしれない」と、自分でも十分気持ちは落ちていたのです。それでも、着替えに帰るよりもさっさと買い物を済ませて家に帰ろうと、自分の姿は見ないようにしてインテリアショップに入りました。

 

2、買い物する店でどんな目にあったか。(@インテリアショップ)

 このインテリアショップは上層階にラグジュアリーホテルがあります。そのせいか、店にあるものはサイズも大きいし値段も高い。「だれが買うのか?」と思うくらい。そんなところにどうして出かけるかというと、家具の形や配置、照明器具のデザインとか置き方、ベッドまわりの布使いなど、部屋の雰囲気作りの参考になることが多いからです。つまり、そうそう買えなくても、みているだけで楽しい。店のファンだということです。  

 日曜日の昼前ということもあって、客はまばらでした。わたしは特に、この店のクッションカバーとかソファカバーなどがお気に入りです。高いけれど品質がよいし、長く使えるということもわかります。上等のファブリックがあると部屋の雰囲気もよくなるのです。店内をざっと見渡すと、すみっこの棚に麻のベッドカバーが半額になっているのを発見しました。色は少しあせたような茄子紺で、ひんやりした感触が気持ちいい。暑い夏にこの肌触りは贅沢な気分になれそうです。わたしは買おうかどうしようか、綿のシーツなどと手触りを比べながら、真剣に考えていました。

 そのわたしのすぐ横に女の人がぬっと立って、わたしが見ている商品に手を出しました。それを持って、近くにいる連れの男に「これ、いいんじゃない?」と声をかけています。まるでわたしなどいないかのような無礼な振る舞いでした。「え? わたしが見てるのに?」と思わずわたしは隣の女性を見ました。

 その女の人は40代くらいで肌のきめの粗い感じの人でした。パーツの大きな顔にファンデーションをべったり塗っています。マキシスカートとサンダルはカジュアルなノーブランド。それはまあその人の雰囲気にあっているからいいとして、肩から提げているトートバッグが、キャンパス地に、エナメルで大きなブランドのロゴが描かれているものでした。

 これは同じクラスのブランドの中では、値段が安めのものです。目立つデザインだから、デパートでは人気商品だと思われます。ただ、カットが平面的なので、持った時の形が単調でつまらない。わたしがつねづね「ダサい」と評価しているものでした。今日のわたしはこんなものを得意げにもっている人に、ぞんざいに扱われる存在なのか。

 深くうなだれて、自分を見つめなおさざるを得ませんでした。

 今日の服は用途にあったおしゃれと思っていたけれど、それは自己満足でしかなく、どうやらかなりみすぼらしいらしい。嫌らしいことを承知でいうと、身に着けていたものの値段はトータルでわたしの方が上だったと思います。でも、そんなことは個人のささやかなこだわりに過ぎず、まったく通用しないのです。

 若いひとはからだに張りがあるし、顔色にもはつらつとした輝きがあるから、ラフなカジュアルが魅力的なのです。年配のわたしが若い人がするようなカジュアルな服を着て、化粧も髪の手入れもしないと、風景に同化してしまうのです。買い物に夢中の人にとって、邪魔な存在になるのです。そのことがつくづくわかりました。

 すっかり意気消沈したわたしは何も買わずに店を出ました。ベッドカバーはまだ何枚も残っていたし、すぐにすべてが売れることはないと自分に言い訳しながら。でも、結果として、その時は買い物ができなかったのでした。

 

 

 

3、おしゃれをするのが面倒な時でも、最低限しておいた方がよい身だしなみとは。

 一髪、二化粧、三衣装というそうです。髪は額縁ともいいます。わたしは汗かきなせいか、顔にいろいろ塗るのが苦手なのです。なので、お化粧をしなくても髪だけはつやつやにしておこうと思いました。美容院ともっと親密になるべきです。

 それから、靴とバッグをよいものに変えます。良い革のバッグを手入れして持ちます。小物につやがあると違うんじゃないかな。

 服の色合いも大切です。淡いグレーとカーキの組み合わせは、寝まきのようだったかもしれません。中高年がカジュアルを楽しみたい時には、モノトーンとか、原色の組み合わせとか、はっきりした色にした方がいいようです。

 帽子とサングラスという手もあります。私は自然なおしゃれが好きなので、今までしたことがありませんでした。外人のまねして「ええかっこしい」とすら思っていたのです。でも考えを改めました。この組み合わせは合理的かもしれません。似合うものを選んでおけば、後は楽です。それさえつけていれば、すぐに外出できますものね。

 あるいは、あきらめて、そういう日の自分も受け入れることもありでしょう。街に同化して見たいものだけすいすい見たら、それでいいのかもしれません。