pinotannのブログ

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子宮筋腫体験記(10)手術翌日の様子と気持ちの変化

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手術の翌日は、朝から快適でした。手術が終わって、芯からほっとしていました。

看護師が窓のカーテンを開けたので、外の景色が見えます。ビルの間から見える空は快晴でした。「あー。よかったー」と大声で叫びたいくらい、嬉しさがからだから湧きあがってきます。

看護師が、紙パンツやT字帯などをはずして、パンツ、紙ナプキン、腹帯に替えてくれます。やはり布のパンツは気持ちがいいです。窮屈なサポートソックスも脱がせてくれます。下半身がすっきりしました。

ベッドに名前と手術後1日目と書いたプレートが下げられました。術後7日までは赤字で書かれます。とくに目配りが必要な患者という意味らしいです。ベッドは窓際にあって、ガラス越しに光が降りそそいでさわやかでした。

朝9時に回診が始まります。足早に入ってきた当番の看護師が、ベッドぎわのカーテンを開けます。医師はそれぞれのベッドの患者を診て歩きます。部屋から部屋へと小走りです。話しかけるのも悪いくらい急いでいます。これが終わったら外来へ降りて行くのでしょう。

 

わたしの番が来ました。看護師が腹帯を手早くはずしてくれます。傷口にはしっとりした透明フィルムが貼られていて、上から見るだけらしい。斉木先生は、

「きれいです。これなら傷口はパンツに隠れますよ」

と楽しそうにいいました。わたしはまだからだが自由に動かないから、自分の傷も見えませんが、朝から気分がよいので同じようににこにこしました。

風のように去った先生と看護師を見送って、わたしはそろそろと腹帯をしめなおします。今日は少し水が飲めるだけで、食事は禁止でした。やっと吐き気がおさまったとはいえ、手術翌日なので寝返りをするだけでぐったりと疲れます。そのまま浅い眠りに落ちました。

 

とろとろと眠っているうちに、夕方になっていました。窓から差し込む光の加減から、そう感じたのでした。わたしは、尿管と点滴の管につながれていました。鎮静剤が効いているせいか、痛みはありませんがからだがだるくて動きません。熱も上がり始めたようでした。まるで捨て猫のように、ベッドで転がっていることしかできませんでした。

少ししたら看護師に座薬を入れてもらおうと思いながら、うとうとしていました。

天井からさわさわとエアコンの風が降りてきます。寒い。なんども寝返りを打つ間に足元に絡まってしまった布団を、引き上げる気力がわきませんでした。どうしてもからだが動かないのでした。

その時、音もなく気配が近づいてきてカーテン越しに

「失礼します」

というかしこまった声がしました。

「お加減はいかがですか」

といいながら、斉木医師が入ってきました。

「……だいぶいいようです」

からだをまったく動かせず、目も開けられず、わたしはそれだけ答えて黙っていました。先生はそのまま帰ろうとして一瞬躊躇し、去り際に布団をぴらっとかけなおしてくれました。背中や腰がすっと暖かくなります。ずっと布団をかけたかったのに出来なかったので、本当にありがたかったです。わたしは嬉しくて夢うつつのままにいいました。

「……そうしてもらいたかった」

わたしが眠っていると思っていたらしい。先生は悪いことがみつかったようにあわてて、

「めくれてたから!」

と一言いうと、逃げるように立ち去りました。

わたしは、感激していました。人の本質的な暖かさや優しさといったものは、こんな些細なところに現れて、人の心に鮮やかな印象を残すものではないでしょうか。

斉木先生は外来の診察を終えて夕方病棟へ戻り、昨日手術をした患者を見回っていたのでしょう。患者のつらい状態によりそうような真摯な態度に、わたしは心を動かされました。細やかでシャイな人柄でした。

これまで斉木医師のことを、「明るくて親切そう」とか、「頭がよさそう」などと、手術を受けるにあたっての能力の面からしか判断していませんでした。癌の研究をしているのだから、手術も慣れているだろうと予測していました。

「この先生だったら失敗しないのでは」といった信頼だけで十分だったのです。しかし、斉木先生は頭がよくて腕がよいだけではなく、性格が暖かいのでした。苦しむ人に何かしなくてはいられないといった優しさを持っています。

この一瞬で、わたしはひとまわりも年下の医師に、特別な気持ちを持つようになったのでした。