pinotannのブログ

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子宮筋腫体験記(12)入院生活と病棟の噂話

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一日ごとに点滴の量が減り、体が軽くなっていきます。暇なときはよく、同じ部屋の患者の話をカーテン越しに聞いていました。

カーテンは視界を遮るだけで、音は通しますから、話し声はよく聞こえました。顔を合わせることはなくても、患者の病名や家族構成、仕事など手に取るようにわかりました。

窓側のわたしと向かいの人は同じ子宮全摘で、廊下側のふたりは癌でした。癌の人たちはまだ三十代と若く、息をひそめるようにして闘病していました。

夕方にやってくる主治医たちも、神経を行き届かせているらしく、わたしがどれだけ耳をすませても、治療内容や進行状況などは、わかりませんでした。

一部とはいえ生殖器をとることに、女としてのためらいがないわけではありませんでしたが、ここにいると、悪くなったところはさっさと取って、健康になろうと思うのです。

 

術後数日たったとき、斉木先生が顔をのぞかせました。手術の説明にきたようでした。

わたしの子宮は16cmあり、じゅうぶん手術の適用症例だとのことでした。

先生がもっている分厚いノートに写真が貼り付けてあり、わたしの子宮が写っていました。術後の痛みを抱えている身でその写真を見たので、思わず「おえ」っと吐きそうになりました。ふだんなら血とか臓器の写真などみても平気なのですが、強い刺激にはまだ耐えられないのです。それでも我慢してじっと見ました。

青いシートの上に赤い臓器がのっています。まるい袋のようでした。もう一枚は、ふぞろいなこぶが無数についています。できそこないのブドウのようでした。子宮の表面をおおう皮膜をきりひらくとこんな形がでてくるそうです。

わたしの子宮には、5cmから8cmくらいの筋腫がたくさんできているといわれていました。2つ目の病院の老医師から、「2年や3年でできたものではない。あなたはこの筋腫をずっともっていたのですよ」といわれたことを思い出しました。

わたしのからだは20年以上かけて無数のこぶをつくっていたのです。これをすべてはがそうとしたいたのか。それがいかに無謀なことか。無知だったとはいえやらなくてよかったと、ほっとしました。

生理の時の痛みとか、性交後のうずくような痛みなど、こんなものとあきらめていた症状に原因があったんだと、手術してよかったなあとしみじみと思いました。

 

午後に、向かいのベッドのUさんと屋上に行きました。看護師からは「とにかくたくさん歩いて」といわれているので、入院患者は日常的に病棟の廊下を歩いています。点滴の針がまだ腕に埋まっているので、転ぶと危ないし、人がいないところに1人で行くのも怖いものです。それでも、少しずつでも行動範囲を広げたいと思うようになっていました。屋上にはまだ行ったことがなかったので、2人でならなんとか行けるだろうと意見が一致したのです。

屋上に出ると、湿った生暖かい空気に包まれました。外の空気を吸うのは、一週間ぶりでした。まわりに高い建物がないせいか、風が吹きわたっています。大小のオフィスビルがどこまでも続いて、遠くのほうはかすんでいました。

2人でそろそろと端っこのフェンスまで進みました。

フェンスに両手と頭をのせて、U さんは突然言いました。

「ねえ。斉木先生と仲いいね」

「そんなことないよ」

わたしはおどろいて否定しました。ただ、話をする機会が多いことは感じていたので、正直にいいました。

「わたしは、子宮を取るって言われてびっくりして、ほかの病院に行きますっていって、あとからやっぱりここにするって戻ってきたから、覚えられたのかもしれない」

「ふうん。わたしは前かかっていた先生からも、いずれ取ることになるでしょうねって言われていたから、抵抗なかったなあ。はいはいって感じ。こどももできなかったし、生殖器をぜんぜん使わなかったなあって、今になって思う。」

50歳近い年齢になるとだれでも、自然に人生を振り返るようになるらしい。いろいろな境遇のひとが集まった暮らしを経験すると、自分ひとりの不幸など取るに足りないことのように思えてきました。

婦人科医長が有名で、なにがなんでもその先生の手術じゃないといやだっていう人が多いんだって、とUさんは続けました。

「ふうん。でもわたしは斉木先生はいい先生だとおもうけどな。ちょっときついけど、やることに間違いがない感じがするじゃん」

わたしがいうと、Uさんも「同じよ」と強くうなずきました。

「斉木先生の出身大学すごく難しいし、優秀らしいよ」

それから、Uさんは、斉木先生に相手にしてもらえなかった話をしました。

「斉木先生に、手術の時におなかの脂肪もついでに取っといてくださいって頼んだら、『それはまた別です』って断られた」

「手術が終わって子宮をとったのに、おなかがちっとも痩せないって、文句をいったら、『それは自分で努力してください』だって」

「あはは。おもしろい。取り付く島もないって感じね」

わたしが笑うと、Uさんはなおも続けます。

「斉木先生はだいたいあんな感じで、患者の相手をしないじゃない。でもあなたとはいろいろしゃべっている気がするわけよ。だから、仲いいのかなって」

Uさんはしょんぼりしていました。ショートカットの髪が風に揺れて、若いころはきれいだったろうと思わせます。着物の着付けの講師をしているそうで、今でも華やかで都会的な人でした。

わたしは、手術を決める前の、治療の方法とか、手術のリスクを極限まで下げるために、必死で医師に向かっていった頃のことを思い出しました。斉木医師はそれをきちんと受け止めることができていましたし、その技量も備えていました。結果的に、わたしは手術を受ける前に十分な信頼関係を作れていました。

そのうえ、術後の経過を尋ねられるたびに、「体調はいいです。先生ほんとうにありがとう」とか「痛いですけど、悪い感じはありません」「先生の手術は完璧でしたね」などと先生のことをほめちぎっていました。お世辞ではなくて本当にそう思っていたから言ったことです。そういう患者とは、ちょこちょこと話をしたくなるのは人情というものです。

「わたしあんまり文句言わないからね。そうしたら親切にしてもらえるんじゃないかな」

文句というと雑な言い方になってしまいます。ちゃんとした質問や話し合いは当然必要ですが、無意味な苦情は嫌われるだけと言いたかったのです。

「看護師さんだって同じよ。ここのナースは訓練されていてすごくよくしてくれるでしょ。それなのに患者は『点滴持ってくるのが遅かった』とか『ナースコールしてもすぐに来ない』とかあらさがしのようなことばかりいうでしょ。わたしは『ありがとう』とか『お世話になります』とか必ずいうようにしている。そうしたらますます献身的に看護してくれる気がする。ああいう人たちって本当は人の役に立ちたいって思っているのに、信頼が成り立ちにくい社会になってしまって、お互いにぎすぎすしているのよ」

「たしかに。ナースはいい人多いよね。熱が下がったら一緒に喜んでくれるし、看護にやりがいかんじているみたい。この病院は安心できる」

夢中で語り合っているとへとへとに疲れました。体力がないから、疲労に突然襲われて動けなくなるのです。Uさんも同じらしい。帰り道は口数も少なく、2人で廊下の壁に寄りかかるようにして部屋へ帰りました。